CPUの歴史

はじめに

CPUの歴史を簡単に纏めてみました。

CPUはパソコンの中核となるパーツ。ですからCPUの歴史はパソコンの歴史とも言えるかもしれません。

CPUの誕生

1971年にIntelが日本の電卓会社から依頼を受けて開発した世界初のCPUの4004プロセッサーを発売します。その後、Intelは次々に新しいプロセッサーを開発してPCを生産可能なレベルに達したCPUである8080プロセッサーを発売します。

さらに1979年に8086プロセッサーを発売します。これは8080の後継に当たりますが、16bit化された上に互換性は全くありませんでした。これが現在のIntelや他の互換CPUの元祖となるべき記念すべきCPUなのです。8086は元来Intelの明日を担う主力CPUとして開発されたものではく、次期CPUの開発が遅れたためのその場しのぎのCPUだったそうです。PC9801には8086プロセッサーの互換CPUが採用されました。(8088プロセッサーというCPUも存在するが、それは8086プロセッサーの後継ではなく機能限定版)

PC/AT誕生

1984年にIBMがPC/ATが発売されます。CPUに8086の後継である80286プロセッサーが採用されました。これによりその後に登場するPC/AT互換機では80286に互換性を持ったCPUが採用されることになるのです。(80186というCPUも存在するが、それは8086の後継ではなくて80286の機能限定版)

80286は1982年に発売されたCPUで完全に8086プロセッサー互換のリアルモードとマルチタスク用に複数のプログラムがお互いのメモリ空間を干渉しないようにする仕組みを持ったプロテクトモードの二つのモードを切り替えることができるのが特徴です。なお、プロテクトモードとは複数のプログラムがお互いのメモリ空間を干渉しないようにする仕組みのことです。

Intelの躍進

1985年にIntelは80286の後継で互換性をもった32bitの80386プロセッサーを発売します。その後、AMDに数字の羅列を登録商標とするのは反則だと裁判になりi386に名称を変えます。このCPUは現在の32bitCPUはこれを元に改良されたCPUで理論的には最新のWindowsでも動くハズなのです(遅くて使い物にはなりませんが)。AMDはこのころAm386という互換プロセッサを作っていました。

80286のプロテクトモードと複数の8086プロセッサーが動いているように見せる仮想8086モードを持っていたのが特徴です。ちなみに、今でもWindowsNTやWindows2000ではPC/AT互換機をi386コンピュータとして扱っているようで、フォルダがi386フォルダにインストールファイルが格納されています。(i386SXは、i386の機能限定版)

1989年にi386の後継で互換性をもったi486プロセッサーが発表されます。このCPUはi386にキャッシュメモリとそれまでオプションとしてCPUとは別に単体で発売されていた浮動小数点演算ユニット(FPU:Floatingpoint number Processing Unit)をCPUに内臓したのが特徴です。なお、8086の浮動小数点演算ユニットは8087で、80286は80287、80386は80387でした。(i486SXも同様に、i486の機能限定版。i486DXは正式名称で、i486DX2・DX4は上位プロセッサー)

Pentium登場

1993年にIntelはi486の後継で互換性を持ったPentiumプロセッサーを発売します。このCPUは今でも世界的ベストセラーになっているPentiumブランドの最初の製品です。

このCPUはi486から外部バスのみを64bitに拡張して、パイプライン処理とよばれる複数の命令を同時に実行できる方法を使って二つの命令を同時に実行でき、また、キャッシュをデータ用と命令用の二つに分けて命令実行中でもデータの読み込みが出来るようになったのが特徴です。また、途中からマルチプロセッサー(SMP:SymmetricMutli Processor)に対応し、今日の一般ユーザーへのデュアル市場の幕開けとなったCPUなのですが、デュアルCPUが流行するのはも少し後になってからです。

Pentiumには初期の製品にバグがあったのですが、当初Intelはほとんど影響がないレベルと対応しませんでしたが、消費者と出荷先企業からの圧力で回収することになります。

P6世代の幕開け

1995年にIntelからPentiumProプロセッサーが発売されます。このCPUは、PentiumまでのCPUがi386の拡張だったのに対して内部を大幅に改良して、今までx86命令を直接実行していたのに対し、より簡単なRISC風の命令に変換して計算するという方法をとりました。この方法をこのCPUの開発コードネーム『P6』にちなんでP6アーキテクチャまたはスーパースカラーアーキテクチャと呼びます。また、Pentiumのパイプラインを12本に拡張して、それまで外付けだった二次キャッシュをCPUに内臓したのが特徴で32bitの計算に長けた反面、16bitの計算はPentiumより低い程度だったようです。

くしくも1995年にはMicrosoftから大ベストセラーとなるWindows95が発売されます。このOSは32bitなのですが、内部では多くの16bitコードが存在するためにPentiumの方が高速で一般の人たちには広まらず、すでに完全32bit化されたOSを使っていた企業のサーバーなどに多く使われました。また、二次キャッシュを内臓するために価格が高騰したのも一般受けしなかった原因だったようです。

実はPentiumProも製品にバグがあったのですが、Pentiumの時の失敗を生かしてすばやい対応をしたために、むしろIntelの評価が上がったという逸話が残っています。

時代はWindows95の発売に伴ってマルチメディア時代に突入し、パソコンでは処理の重いマルチメィア系の処理をすることが多くなりCPUの性能向上が迫られるのでした。

IntelとAMDの戦い(低価格化への戦い)

Intelは、PentiumProが一般受けしないのでPentiumにマルチメディアの拡張命令形を追加してキャッシュを追加したMMX Pentiumを発売して時期 Pentium を発売します。ライバル会社のAMDはPentium互換のK5をリリースしますが、Pentiumの爆発的な人気の前に苦戦を強いられます。

1997年、PentiumProの後継となるPentiumIIを発表します。Intelはコンシューマ向けのCPUではPentiumの後継という位置づけとなるためこの名前をつけましたが、内部的にはMMXPentium Pro とでもいった感じです。

このCPUはPentiumProの欠点である、16bit計算が苦手な点を克服し、価格を下げるためにパッケージをSocketからSlotに変更しました。また、Pentiumで既に採用されていたMMX命令実行系を追加しました。しかし、これでも高価でなかなかPentiumIIへの移行が進まないなか、ライバルAMDはPentiumIIなみの性能を持ち、格安でさらにMMXPentiumと互換性をもったK6を発売します。高価で移行に際してプラットホームごとの交換を要されるPentiumIIに対して、既存のプラットホームで利用できPentiumIIに匹敵する性能をもつK6は市場の支持を得て瞬く間にシェアを広げます。これが今やIntelと対等のライバルであるAMDの礎を築くことになるのです。

Intelはこの危機を打開するために、1998年ローエンドPC用にCeleronを発売します。このCPUはPentiumIIから価格高騰の原因となる二次キャッシュを取ったもので、当然性能も芳しくなかったのですが、二次キャッシュを持たないためにオーバークロック耐性が強いとマニアのうちでオーバロックが流行し始めます。

さらに同年、Intelはコアに少ないながら二次キャッシュを内臓したCeleronを発売します。このCPUは性能が高く低価格だったためAMDのK6やその拡張版であるK6-2、K6-IIIと好調なシェア争いを繰り広げます。今のCeleronブランドの繁栄はこのCPUから始まったといっても過言ではないでしょう。また、このCPUはオーバークロック耐性が極めて強く、また当時のチップセットの440BXがCPU以外に負担を掛けずにオーバークロックが可能にしたため、一部のマニア以外でも一般的にオーバークロックが大ブレークします。また、元来Celeronが対応しないSMPに小規模な改造で対応することから、DualCeleron(通称デュアロン)が大ブレークし、デュアルシステムがマニアの間で流行しました。

IntelとAMDの戦い(高クロック化への戦い)

1999年にAMDはAthlonを発売します。このCPUは今まで互換CPUを発売していたAMDが初めて独自のプラットホームで発売した記念すべきものです。それまでAMDはIntelのCPUに比べて常に後ろから追う立場を取っていたのが対等に張り合えるようになったのです。この体系は今でも変わっていません。

これにより、AMDとIntelの激しい高性能化と低価格化の競争が始まり、逆にわれわれはその恩恵にあずかることになるのです。

2000年にIntelはPentiumProから引き継いできたP6アーキテクチャを捨て去り、まったく新しい構造のPentium4をPentiumIIIの後継として発売します。このCPUは周波数を上げることによって性能向上を目指方法をとり、SEE2と呼ばれるマルチメディア命令系を新たに搭載しました。また途中からHyper-ThreadingTechnologyと呼ばれる一つのCPUで複数のCPUが処理しているように見せる技術を採用しました。

また同年MicrosoftからWindows2000が発売されます。これはコンシューマ向けではないものの、コンシューマが一般的に使える始めてのフル32bitOSでした。また、時代はマルチメディア時代に突入し、パソコンでは処理の重いマルチメィア系の処理をすることが多くなりCPUの性能向上が迫られるのでした。

IntelとAMDの戦い(64bit化とマルチコアへの戦い)

2001年にはIntelからx86系で初の64bitCPUであるItaniumが発売されます。しかし、コンシューマ向けではなく一部のサーバー用となるのでした。対するAMDは、2003年コンシューマ向けのCPUで初の64bitCPUであるAthlon64をリリースして高い支持を得ます。危機感を抱いたIntelはAMDから遅れること1年の2004年、Pentium 4を64bitに対応させることになり一気にCPUの64bit化が加速します。またこの64bit化はAthlon64の64bitと互換性を有しており、IntelがAMDを追従して互換性をとった初めての例ともなりました。

この頃、消費電力と発熱の問題で高クロック化への道が雲行きが怪しくなってきました。Intelが高クロック化に四苦八苦しているのを尻目に、Athlon64の快進撃はさらに続きAMDはAthlon 64でデュアルコアに対応すると発表、Intelは急遽高クロック化を断念してデュアルコアのCPUを作成することになります。

2005年にIntelから『Pentium D』、AMDから『Athlon 64 X2』というデュアルコアのCPUがリリースされ、64bit対応でデュアルコアというのがトレンドとなります。両者は同じデュアルコアCPUですが、『Athlon64 X2』は当初からデュアルコアとして開発されたものだったのに対して、『Pentium D』は既存の『Pentium 4』のダイ2個を1つのCPUに内蔵したもので、性能はともかく消費電力と発熱が単純に『Pentium4』の2倍となる大きな問題を抱えていました。

Intel Macの登場

2005年にx86系CPUで大きな出来事がおこります。今まで長らくPower系CPUを使っていたMacが、IntelのCPUを使うことを発表したのです。Mac自体のシェアはそれほど高くないのですがそのインパクトは大きく、またユーザーにとってMacでWindowsが利用できる可能性が期待されました。それはApple自身の手によるBootCampによって現実のものとなります。

Core 2 Duoの登場

Intelは『Penium 4』がその構造ゆえに消費電力と発熱が大きいため、モバイルパソコン向けには『Pentium III』を踏襲した『PentiumM』を開発、それをベースにデュアルコアCPUの『Core Duo』を開発していました。『Core Duo』は充分な性能と低い消費電力からデスクトップでも多く採用されました。しかし、64bitに対応していなかったためデスクトップの主力として販売されることはありませんでした。

2006年に満を持してIntelが放ったのが『Core Duo』をベースに64bit対応と性能の大幅な向上を図った『Core 2 Duo』です。『Core2 Duo』はその性能の高さと消費電力の低さで一気に大ブレイクをしてAthlonに奪われていたシェアを取り戻すことに成功します。

2006年の暮れに、4年ぶりとなるWindowsメジャーアップデートとなる『Windows Vista』が登場しました。 Vistaは要求するスペックが大幅に引き上げられていたため高性能なCPUの需要が増えると期待されていましたが、Vista自身の普及がうまく行かなかったために期待したほどの影響はありませんでした。またVistaは当初から64bit対応版が用意されていましたが、積極的に展開しなかったこともあり、64bitの普及にはもうしばらく待つ必要がありました。

GPGPU

2006年にnVidiaはDirectX 10に対応した『Geforce 8シリーズ』をリリースしました。これはGPU(グラフィックチップ)ですが、より汎用的な演算ができるように設計されており、それを使ったCUDAというAPIを提案しました。GPUは従来3Dゲームなどのグラフィックを演算する専用の装置ですが、この高い性能を生かしてグラフィック以外の計算にも使うというのが『CUDA』の考え方です。このような技術は『GPGPU』と呼ばれ、シミュレーションなどの学術分野などでCPUよりも効率良く高速に演算できることから注目される技術でした。

また同じ年、AMDが多額の費用を費やして2大GPUメーカーの一つであるATIを買収しました。これはAMDが『GPGPU』がこの先CPUの分野にも影響を及ぼすことを表す出来事ですが、この買収の成果を見るのはもう少し先となりました。

ATOMの登場とARMとの戦い

パソコン向けのCPUではx86系のCPUは確固たる地位を築いていましたが、携帯端末などの組み込み向けではARM系のCPUが独占していました。Intelもこの分野にはARM系CPUを開発・販売をしていたのですが、x86系CPUでこの市場を開拓する方針に転換して『ATOM』を開発しました。『ATOM』では組み込み向けに重要なコストと消費電力を重視したCPUで、性能を追求してきたパソコン向けCPUとは方向性が異なるものです。

しかし、Intelの思惑に反して低価格のノートブックに『ATOM』を搭載した『ネットブック』がライトユーザーやパワーユーザーの二台目として大ブレークします。高性能なデジタル家電の普及や、クラウドに代表されるネットサービスを中心とした使い方など、多くのユーザーがそれほど高性能なパソコンを必要としなくなってきていたという実情もありました。

さらに、iPhoneとAndroid系を初めとした高性能携帯端末、いわゆるスマートホンの台頭によって、それまでパソコンがカバーしていたカジュアルユーザー向けのパソコンがスマートホンによって取って代わられる部分が出てきました。そしてそれを決定づけたのが2010年登場のタブレット端末iPadの登場で、パソコンと携帯端末とのシェア争いが決定的となりました。この自体を見越して投入したハズの『ATOM』ですが肝心の携帯端末には普及せず、Intelはこの分野では苦しい戦いを強いられることになります。

新たな時代への幕開け

2010年にはWindows 7が登場しましたが、このWindowsはWindows史上初の前の製品から要求スペックが上がっていないOSで、これによりWindowsとともに高性能化を歩んできたCPUの方向性に転換期を迎えたことが明確になりました。すでに、CPUは消費電力の問題などから1コアあたりの性能向上が緩やかになってきており、コアの数を増やすマルチコア化や、GPUなどと組み合わせて性能を向上させるなど従来とは異なるアプローチが模索されているところです。

IntelはメモリコントローラやグラフィックコアをCPUに統合してコアあたりの性能向上を図ったCore iシリーズを投入して順調にシェアを伸ばすことに成功していますが、2011年にはしばらくCPUの分野でナリを潜めていたAMDが買収したATIの能力を活してCPUとGPUを統合したAPU=Accelerated Processing Unitをリリースし、CPUの新たな方向性として注目を集めています。

そしてWindowsは次期バージョンでARMをサポートすることを発表し、パソコンだけでなく携帯端末をも巻き込んだシェア争いの行方が気になるところです。そう、2011年もCPUから目が離せない年なのです!