グラフィック機能の歴史

はじめに

コンピュータのグラフィック機能の歴史について、少しヒモといてみることにします。

ビデオカードの誕生

元来グラフィックアクセラレータと呼ばれるものは、CPUが担当していたグラフィックの計算を専用のチップで肩代わりをしてCPUの負荷を軽減させ高速に投画するためのもので、もっとも最初はIBMのVGAチップがことの始まりです。このチップの互換機能は現在のすべてのグラフィックカードに内臓か搭載されています。このおかげで起動画面やドライバーをインストールする前、セーフモードを表示することができるのです。

さて、サードパーティによるグラフックアクセラレ-タが大ブレイクしたのは『Chips & Technology』のVEGAというチップを搭載したISAボードです。その後、『Chips & Technology』から独立したメンバーで結成した米『S3』社が結成され、カナダに拠点を置く『ATI technology』社と同じくカナダの『Matrox』社で三大グラフィックカードメーカーとして三つ巴のシェア争いを展開します。

3D時代の幕開け

2Dではどのメーカーもある程度まで行き市場がやや下火になりました。DOSゲームの最盛期は過ぎWindowsの3Dゲームが徐々に広まりつつあった時代、グラフィックカードの目標は3Dグラフィックへと向けられていきます。3Dの計算は複雑で各社が開発に苦戦する中、『S3』が3Dのごく一部のみをハードウェアで処理するVirge を市場に投入し先手を打ちます。 このチップの3D演算能力はたいしたものではなかったのですが爆発的人気を誇り、時代は3Dに移行します。ATIもMatroxもそれぞれ3DRageシリーズやMillenniumシリーズを展開します。

そんなころ我らが『nVIDIA』は(ていうか、私はアンチエヌビディア派なんですが)開発コードnV1とnV2を市場に投入しまが、このチップの3D投画方法が一般的なポリゴンではない特殊な方法だったために市場に受け入れられず消えてきます。

ちょうどそのころ、『3dfx』社はGrideという独自のAPIとvoodooシリーズで市場に参入してブードゥーブームを巻き起こします。このカードは3Dの演算のみを行うカードでグラフィックカードに追加された3D機能とはくらべものにならないほどの高い演算能力を誇り、3Dゲーマーに圧倒的な支持を得ます。これに対してMicrosortがDirect3Dを提唱しますが、当時はまだDirect3Dは貧弱でより優秀なGrideを使った3Dゲームが多くを占めます。

グラフィックカードの3D化が進む中Intelはi440LXを発売します。i440LXにはAGPスロットを搭載した初めてのチップセットで、グラフィックカードのスロットはPCIからAGPへ移行して行くことになるのです。

巻き返しを図るnVIDIAはnV3となるRIVA128を市場にリリースします。これはVoodooとは異なりDirectXを使用するグラフィックカードでした。当時としてかなり高速で、Voodooには少し及ばないながらも3D機能が極めて高かいのは今のnVIDIAの製品と同じですね。さらにnVIDIAはnV4ことRIVA TNTを投入しその高画質で高速な3D投画能力で一気に市場の支持を得て、後の覇者の礎を築くのでした。

混迷を極めるグラフィックカード

さて、このころにショッキングなニュースがグラフィック市場を駆け巡ります。 世界最大の半導体メーカー『Intel』社が最初に登場して忘れ去られていた『Chips & Technology』社を買収し、グラフィックチップ市場に参入してしまったのです。最初のチップはi740と呼ばれるチップで、Direct3Dの処理が高く性能もまずまずだったのですが(ホント、当たり障りなく普通な感じでした。)それほど人気は得ずに市場からフェードアウトして後継のi752の開発はキャンセルとなります。しかし、このことが後に大きな影響を及ぼすことになろうとは誰が予測したでしょう?

ところで、ATIとMatroxは自社でチップとカードを製造するのに対しS3と3dfxはチップのみを製造し外販をするメーカーなのですが、ボードメーカーに足元を見られるなどで収益が安定しないという欠点があったのです。そこで、S3はDiamondmultimedia を3dfxはSTBをそれぞれ買収して自社でカードを生産できるようにします。

これはnVIDIAにとってかなり深刻な出来事でした。RIVAシリーズをもっとも多く購入して販売しているボードメーカーであるDiamondMultimediaを買収されたからです。どの雑誌も、だれがnVIDIAを買うか?いつつぶれるかと予測しました。しかし、この買収は失敗し、自社でのカード製造がうまくゆかず、S3はグラフック市場からの撤退、3dfxは資産をnVIDIAに売却して会社の解散にあいなりました。3dfx倒産の原因はAGPへのスムーズな移行に失敗したことやDirectXがかなり高性能となりGraideを使わなくても問題ないレベルになったのが原因でした。

これはグラフィック市場の栄枯盛衰の象徴的出来事でした。窮地に立たされたハズのnVIDIAは、逆に3dfxからエンジニアを含めた資産を得た上、チップの外販をする唯一のメーカーとして一気にシェアを広げることになるのです。。

グラフィックカードの転換期

皆さんが忘れたころにIntelが再び動き出します。そうです、グラッフィク内臓のチップセットi810をリリースしたのです。 内臓のグラフィック機能はお世辞にも良いものとは言えないものでしたが、画面を表示できればいいというニーズには充分だと判断されローエンド市場を完全に奪ってしまいました。グラフィックメーカーは、より高性能でより安いチップを製造することが求められたのです。

通常3Dグラフィック機能というのはハードウェアでレンダリングとジオメトリの演算を行うことなのですが、当時のグラフィックカードはレンダリング演算のみををハードウェアでアクセラレーションするだけでジオメトリ演算はCPUに行わせていたのに対して、nVIDIAはコンシューマ向けに初めてジオメトリ演算をハードウェアで演算を行うGeforce256をリリースし3D時代の覇者の名を確固なものにします。

このチップは革新的なテクノロジーを搭載して、その計算力からしてもプロセッサーと呼べるに等しいということからnVIDIAはグラフィックチップではなくGPUgraphic processing unit と呼び、他社もグラフィックチップをGPUと呼ぶようになります。ジオメトリ演算とは座標変換(Transform)と光源計算(Lighting)を計算で、この二つをハードウェアで行うことからハードウェアT&L と呼ばれ後にはこのハードウェア T&Lは高性能グラフィックチップのキーポイントとなるようになります。また、グラフィックカードの3D機能は速いだけでなくより多くの3D機能をハードウェアで処理できるチップが主力となります。

対する、ATIテクノロジーはRageシリーズでは対抗不可能と判断して、Rage5の開発をキャンセルしてRage6となる次世代のチップRadeon256をリリースします。 これにはハードウェアT&L(正確にはClipping も行うのでTCLが正しい)を搭載していました。 しかし、nVIDIAの次期チップGefoce2に演算能力でおとりnVIDIAの市場独占を許してしまうことになったのです。

このころ少しマイナー系ではスイスの『ST』社がKYROという3D性能とコストパフォーマンスに優れたチップをリリースして一定の支持を得ます。

ATIの逆襲とnVIDIAの防戦

nVIDIAは、大人気を誇ったGeforc2の後継Geforce3を投入しましたがあまりの高価さで一部のマニア以外に広まることはありませんでした。さらに、たくさんのメーカーが販売したため低価格競争が激化し、粗悪なものが出回るようになったのです。 そこにATIは長らくやめていたチップの外販を再開し、さらに第二世代RadeonのRadeon8500で再びnVIDIAに挑みます。対するnVIDIAは、Geforce4で反撃しますが性能がそれほど高くなくATIのシェア拡大を阻止することはできませんでした。

さて、中堅チップメーカーSISも廉価版グラフィックチップを市場に投入します。 逆にスイス『ST』はグラフィック市場から撤退しました。 また、日本のカノープスとならび良質な製品を生産すると人気のフランスのGuillemot本社が倒産するなど先が見えない激しい競争が繰り広げられることになります。

2強の時代へ

3Dではすっかり遅れをとっていたMatroxが再起をかけてParheliaシリーズをリリースします。これは今までMillenniumシリーズ苦手としていた3D機能が大幅に強化され、3D機能がイマイチでもアレほどの人気を誇ったMatroxが3Dでも強力なチップを開発したとなると一気に市場はMatroxへ傾くかと思われたのですが、結果的にATIやnVIDIAにはかなわず事実上コンシューマ向けの新規開発から撤退するになってしまいます。

ATIもnVIDIAもそれぞれ方向性が異なりながらも、パフォーマンスが高いグラフィックチップを積極的に開発しておりもはやローエンドを除いて入り込む隙がないのが現状で、時代は2大グラフィックメーカーとIntelの内蔵グラフィックという構成です。

2004年にはnVidiaが2枚のグラフィックカードを搭載して性能を向上させる『SLI』というソリューションを発表。ATIも同様に2枚のグラフィックカードを使う『CrossFire』で対抗し、マルチグラフィック環境はハイエンドゲーマーを中心としたトレンドとなりました。

2006年にインターフェースに3Dグラフィックを採用した『Windows Vista』が登場しました。Vista自体の普及は様々な問題から緩やかでしたが、これにより3Dゲーム以外でも3Dグラフィック機能が活用され快適さに影響するようになったため、その後のグラフィックチップの進化に大きな影響を与えていたのも事実です。

同時に内蔵グラフィックであってもそれなりの性能が要求されるようになりましたが、Intelは内蔵グラフィックの3Dグラフィック機能の強化に難航し、nVidiaの内蔵グラフィック搭載チップセットなどが一定の評価を受けることになりました。

2006年にグラフィック業界に激震が走ります。なんと2大グラフィックメーカーの1つであったATIをAMDが買収したのです。これによる成果がでるのはもうしばらく先の話ですが、グラフィックメーカーでCPUプラットホームを持っていないのがnVidiaだけとなり、ちまたではIntelのnVidia買収説とnVidiaのCPU参入説が流れました。

この頃から、Blu-rayや地デジ、またハイビジョンビデオカメラなどの普及により、パソコンでハイビジョンコンテンツを扱う機会が急速に増えてきました。これらのコンテンツは再生するだけでも高いマシンパワーを必要とするため、nVidiaの『Pure Video』やATIの『UVD』といった動画再生支援機能もグラフィックチップの機能として重要視されるようになります。

GPGPUの時代へ

GPUの性能向上はとどまるところを知らない勢いで向上していたものの、その性能を持て余してしまい、一部の3Dゲームなどでしか恩恵を受けていないという状況も事実でした。そこで2006年に登場したGeforce8シリーズでは、グラフィック機能をより汎用的な計算に使えるように改良して、その為のAPIであるCUDAを提唱しました。これにより動画のエンコードなどへのGPUの活用が可能となりました。GPUの処理能力を汎用分野に利用する『GPGPU』の時代の幕開けです。

2008年には同様の考えでAppleなどが中心となって『Open CL』というフレームワークも提唱され、Windowsでも2010年に登場した『Windows7』とVistaのSP1では『Direct 2D』や『Direct Write』などがサポートされて、GPUの処理能力を活用したソフトウェアの登場のための準備が整いつつありました。

当初はエンコーダーやフォトレタッチソフトなどが中心だったものの、徐々にブラウザなど一般向けのアプリケーションでもGPUを活かして高速化したものが登場し、GPUはパソコンの性能の大きな指標の一つに再び返り咲いたのです。

GPUのこれから

2009年、Intelは新しいCore iシリーズでCPUコアにメモリコントローラを統合し、これに伴って内蔵グラフィックもチップセットからCPUへ統合されました。さらに第2世代のCoreiではダイも統合されたため、GPUもCPUと同じプロセスルールで高いクロックで動作するようになり性能も大きく向上しました。CPUに標準でそこそこのグラフィック機能が統合されるようになったことで、パソコン向けの単体GPUはますます厳しいものになりました。

そんな中、2011年にAMDがCPUとGPUを統合したAPU=Accelerated Processing Unitをリリースしました。今後GPGPUへのアプリケーション対応が進み、高いグラフィック能力が求めらるようになれば単体グラフィックで培ったノウハウが大きなアドバンテージになることは想像に難くありません。

対するnVidiaは急激に普及しつつあるスマートホンなどの携帯機器や組み込み向けのグラフィック機能の需要にいち早く気づき、Tegraというソリューションを投入しパソコン以外の分野で躍進を続けます。

すでにスマートホンなどのプラットホームであるARMを次期Windowsがサポートすることを発表するなど、パソコン自体のシェアが安泰とは言えない状況で、nVidia、AMD、Intelの3社が社運をかけて、それぞれ別の方向に歩みはじめました。2011年もGPUの動向が気になるところなのです。